頭の中のあかない引き出し

毎日ちょっぴりシアワセを

世界の中心で、愛をさけぶ

世界の中心で、愛をさけぶ
片山 恭一

おすすめ平均
泣くためにある本ではなく、考えるためにある本
自己中心的でカン違いな恋を叫ぶ
驚愕の作品
つまんない
期待はずれ

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口調が不自然なのがどうも気になってしまいました。 最初に読んだ彼がそう言っていたから余計にかもしれないけれど。 特に女の子(アキ)の方。 いくら物語の時間設定が今より前(と言っても10年ちょっと)だからって、高校生の女の子が親しい人に「こういうの嫌だわ」とか「なぜかしら」とか「ええ」とかって話すかな? 学級委員をするくらいだから、『きちんとした子だよ』ってことなのでしょうか。 でも私だって学級委員やったことあるぞ。小学生の時だけど。 ・・・とか文句を言いつつも、やっぱり泣きました。 (「秘密」ほどじゃないけど) どうしても、大切な人がいなくなるという描写では『これが自分たちだったら』と当てはめて考えてしまうので。 今が一番シアワセだから失うのが怖いという気持ちもすごくわかるし。 後半のおじいちゃんの考え方が好き。 普段は「私よりも1日後で死んでね」と彼に言っているけれど、実際に私の方が先に死んでしまうとしたら、残った彼の気持ちを思うととても堪えられない。 いくら悲しくても、彼が悲しむくらいだったら自分が悲しい方がいいやって思う。 それが大切な人に対しての自然な気持ちなのかなーっと思いました。 この主人公だけじゃなく、みんな「世界の中心で」愛をさけんでるのだと思う。 他の人には興味のない死であっても、自分にはとても辛かったり悲しかったりする。 いつだって、自分にとっての世界の中心は大切な人と自分。 (”自己中心的”という悪い意味ではなく。) 世界の中心は自分の心の中にあるとも言えるし、自分がいるこの地が中心だとも言える。 勝手な解釈かもしれないけれど、読んでみてそんな風に感じました。 売れまくってるので気になって読んだわけなのですが、読みやすいから売れてるのかな?という印象を受けました。 大感動するほどではないというか。 朔太郎が大人になってからの描写が最後に少しあるんだけど、そこが妙にアッサリしてるように感じたなあ。あれだったらむしろなくて良かった場面だと思う。 余談ですが、中に「大木」という友人が出てきます。 私の知っている「大木」は「ビビる大木」しかいないので、どうもあの人をイメージしながら読んでしまいました(笑)。 それとこの本、「世界の中心で愛を叫んだけもの」という海外の小説にタイトルが酷似してるけど、何か影響を受けたのかな?